20歳、先を見る

雑記

上手くは行かぬ日々なれど、恥ずかしながら今日まで生きてしまった。

20歳、成人年齢が18歳に変更されて久しいが、未だ僕にとってはこちらの方が一つ大きな節目であるように感じられる。

10の位が初めて変わったのは言わずもがな10歳の時であった。まだ年端もいかぬ若造である、小学校では「1/2成人式」などといって20歳の自分に宛てた手紙を書いたりしたが、人生の切れ目などという感覚はもちろん覚えやしない、面倒な課題が増えたというのが率直な感想であった。

無理もないことだ、10歳で10年の重みを感じることはできない、物心ついてたかが5,6年、桁が一つ増えることよりも、歳が1つ増えるということの方が重大なのだ。1が前に付いたからなんだというのだろう。

小学生には花より団子、プレゼントに心躍らせ、ケーキを楽しみにして、そんな風に10代の幕開けは迎えられた。

そして月日は流れ、10年の時は再び繰り返される。

小学校を卒業し、中学校を卒業し、高校を卒業し、今や大学生である。

あまりに色々なことを知り、多くのことを知らず、希望は時に絶望へと姿を変え、それでも今こうして生きているわけだ。

10歳までの10年が獲得の10年であったとすれば10歳からの10年は修正の10年であったような気がする。

というのも、10歳(は言い過ぎかもしれないが)の頃感じていたものと、今感じているものはそう大きく変わらないようなのだ。

「どうして人はこのように動くのだろう」「ばらばらな意思を持った人たちが共に生きているのにまるで1つの大きな種族のように暮らせるのだろう」「僕たちはどこまで自分のことを決められているのだろう」

そういった疑問は常に僕の中で第一義的に留まり続けてきた。今でも根本的にはこのようなことを考えているし、ブログを書き続けているのも今の自分の考えを残しておけば何かの手掛かりになるかもしれないという希望的観測故である。

意外にも感じていることに劇的な変化が起こったわけではないのだ。

ではこの10年間で何が変わったのか。

明らかな変化を感じるのは、用いる言葉である。

先ほど変わっていないとはいったものの、もし今議論をするのではれば自分のことを決められるというのは時に自由意志の存在と言い換えられたりするし、あるいは構造主義といった言葉やシステム理論なんてものも持ち出したりするようになった。

何だ気取った言葉遣いをするようになっただけか、そう思われるかもしれない。

しかし、これは単なる言葉の言い換えの話では全く無い。

簡潔に言えば、自分の思考というものを、これまでの人文学の 足跡の延長線上に位置させるという作業が行われたのだ。

中等教育、高等教育を受け、種々の人々と関わり、目まぐるしく移り変わる世の中の出来事に触れ、その上で自分の考えてきたことはどこに存在しているのかを探し続ける。

こうしてただ漠然と感じているだけだった物事に背景が与えられ、文脈が与えられ、論理が与えられ、再構築されてきたのである。

少々難解になってきたので雑な例え話でも出しておく。人生を新しい家を建てるようなものだと考えよう。

初めの10年は欲しいものをとりあえず手当たり次第盛り込んでいく時期である。2階建てがいい、瓦屋根がいい、机が置きたい、椅子も置きたい、花瓶も欲しい、時計も欲しい、皿や本やペンや何やら小物類、ぬいぐるみとかゲーム機なんかも取り入れたい。

ここに脈絡はほとんど存在せず、ただ見たものの中でいいと思ったものを全て家に放り込んでいく。

だがこれではただの乱雑な物置き場が出来上がるだけである、今のままだと屋根と柱だけの家、ろくに壁もなければ下地もない、時計をかける場所も皿を置く場所もない。

そこで綺麗な場所にこれらのものを置くべく、うまく内装を作っていくフェーズに入る。壁をこさえ、箪笥を作り、壁掛けラックをつけ、部屋を仕切りカーペットを敷き…

これらはただ欲しいから家に入れたものではない、家の中にあるものを見た時に必要であったというより上位の論理によって導入されている。

ちょうど思春期というのはこういったインテリアの時期に当たるのではないか。

それまで直感的に好きだと思ったり不思議だと思ったことに、様々な意味をもたらすべく知識や経験を得て、選び取っていく、うまく今持っているものと照らし合わせ噛み合いの良くなるように自分の中に取り入れる。

こうした意味で10歳からの10年はやはり修正の10年だったと思う。元からあった根本的な感情を、収まりのいいようにうまく整理し直し、その過程で必要な壁やたんす、あるいは部屋を飾る装飾品もかなり増え、一つの家がようやく少しは形になったのだろう。

もちろん人生20年勝負で決着がつくわけではない、それから先も同様に新しいものを取り入れ、要らないものを捨て、うまく自分を収まりのいい形に保つ作業は続いていく。

しかし完全に土台のない状態から自分を作り上げるという経験はもう決してやってこないのだ。これからはリフォームはできても新築はもうできないのである。

ブログを書き始めたのは中学の終わる頃であったが、その頃書いた文章を今見返してももう二度と書けないだろうなと思う。

あまりに自分の感情に近すぎるのだ、自分の経験とそれに対する我流の解釈、それだけで成り立っている。それはそれはひどい文章だ。

けれどもそんなひどい文章にしか動かせない感情というものも確かにある。

今文章を書いてもある程度の土台と論理構成の上に紡がれてしまっているため想像を超える衝撃を生み出すことは容易ではない。

初めの頃はどこか自分の書くものに飲み込まれてしまうような感情があったのだが、そこまでの没入はもはや出来なくなってしまった。

まあしかし1年後、2年後に見返せばまたこの文章も拙く原始的なものなのだろう。或いはそうであって欲しい。

得ていくもの、失っていくもの、それぞれ数多くあるわけだが、それは過去の自分より衰えてしまったことを意味はしないのだから。

ただ不可逆であるだけで、僕はより良い方向へと進み続けているつもりである。洗練されるということは、無駄な部分を削ぎ落とすことを包含している、その無駄というのを選び取ったのは他でもない僕自身である。

ここまでの人生、思ったよりも上手く行き過ぎてしまっている。中学、高校の時には到底20歳までまともに生きているはずがないと考えていたが、蓋を開けてみれば曲がりなりにも五体満足、大学にも通い、海外に行くこともできた、割とやりたかったことは出来ている。自分の予想というのは当てにならないものだ。

20歳、社会的な責任も生まれてくる、年金も払わにゃならん、正直言って喜びよりも訳分かんない気持ちでいっぱいだ。

少しは将来についても考えてみたけれど、てんでダメだった。

僕はまだ心は10歳から変わっていないみたいだ、気楽に歳が1つ増えたぐらいの気分でやっていこうと思う。

流れるままに、目の前に現れたことにはしっかり向き合い、それなりに頑張り、そしてまたケーキを食べる日を楽しみに。

ともかく、20歳、環境に恵まれ、運に恵まれ、周囲の助けと指南を受け、悠々自適にやらせてもらってきました。本当に両親、友達、先生方、その他関わっていただいた方々全て、感謝してもしきれません。

思ったよりだらだらと続いておりますがこれからの人生もなんか面白い感じで全う出来たらと思います。

お楽しみに。

雑記

Posted by doffy