「〜のおかげ」は恐ろしい言葉?知っておきたい因果論

2021年5月29日雑記

こんにちは。どっふぃーです。

現在深夜の2時ですがふと思いついたこの話題のせいで全く寝れなくなってしまったのでメモ書き程度に残したいと思います。

その話題というのがですね

「〜のおかげで◯◯」

これって本当か?という話なんです。

何を言っているのか分からないと思うので例を出しましょう。

まずは何でもいいので1つ、「〜のお陰で◯◯」といった文を作ってみてください。

(毎日のウォーキング)のおかげで(5kg痩せた)

(親がいた)おかげで(僕が生まれた)

(とんねるずのみなさんの)おかげで(した)

こんな感じですかね。皆さんも何か作れたと思います。

さて、この上の3つの文章ですが、何か間違ったことを言っているでしょうか。

もちろん、歩いても痩せないという人や、僕は宇宙人だという人もいるかも知れませんが、一般的におかしなことは言っていないかと思います。

ではこれはどうでしょう。

(前日にヨーグルトを食べた)おかげで(受験に合格した)

少々怪しいですね。本当でしょうか。

「テスト対策をしたおかげで」とかならわかりますが、ヨーグルトを食べたぐらいで変わるでしょうか。

もしかするとこう考える人もいるかも知れません。

「この人は胃腸が弱い人で、ヨーグルトを食べなかったらお腹を壊してしまうのかも知れない。それならこの文は正しいのではないか」

立派な理論ですね。なんらおかしなことは言っていません。ということは先程の文章は正しいときもあります

ではこれならどうでしょう。

(僕が朝ごはんを食べた)おかげで(ガッキーが結婚した)

はいダウト。お前ふざけるなよ。と言いたくなるような文章ですね。

しかしこんな可能性だってあります。

もし僕が朝ごはんを食べていなかったら、通学途中の線路で倒れてしまったかも知れない。その結果電車の事故が起こってしまい、たまたまその電車に乗っていたガッキーが怪我をしたかも知れない。そうすると予定していた結婚も中止となり、現在ガッキーは結婚していないのではないか」

何だその妄想はと言わんばかりのふざけたシチュエーションですね。

真実かどうかはともかくとして、このような可能性が0だと言い切ることは出来ないでしょう。

いやいやその電車にガッキーは乗っていなかったじゃないか。と言ったとしても、

「いやそれは違うんだ、僕が起こした事故によって違う人がバスに乗り遅れそうになってしまい駆け込み乗車をした結果バスに遅れが生じ、するとまた違う人が…」

なんてことはいくらでも言えます。

つまりこの文章も「非常に稀有な例ではあるが正しいくなる時もある」訳です

さて、ここまでの例をみて、皆さんも思ったでしょう。

「こんなんなんでもありやん」

そうなんです。実際に2つの事実が起こっている時、大抵のことは因果関係に持っていくことができます。

なぜならそこには実際に起こった2つの事実があり、それがもし起こらなかった場合どうなるのかということは誰にも分からないからです。

流石にこのような例は極端すぎますが、近い例はいくらでもあります。

1.「この食べ物を食べれば痩せる!」

2.「先人たちの努力によって今の我々がいるんだ」

どちらも、おかげでという言葉こそありませんが、「よって」や「ならば」といった同じような言葉が使われていますね。1つ目からみていきましょう。

これはかなり怪しい文章となっています。大体体に物を入れてるのに痩せるって変な話ですよね。

しかし実際にそれを食べて痩せた人がいるならば、たとえその人が筋トレをしていたとしても、この文章は何ら嘘をついていません。

いや、正確にいうと、だれも嘘だと言い切れないんです。なぜならそこには痩せたという結果はちゃんとあって、さらに食べ物を食べていたという事実もあります。

これらに因果関係がないことは全く証明できませんね。つまり嘘とは言えないわけです。

ここで、「やったー!食べれば痩せれるんだ!」となってはいけません。当たり前ですね。

大事なのは、嘘をつかずに人は騙せるということなんです。騙すという表現が正しいかすらも怪しいですが。

では2つ目です。こちらは一見正しく見える文章です。

しかし本当でしょうか?努力なしに幸せになれる道は無かったのでしょうか?

答えは「わからない」です。

ただ一つ言えることは、歴史上で全く同じルートを辿れば今の僕たちが生まれるよということだけで、ほかにこれをしていればこうなっていたなどということはわかりようがありません。

もちろん、先人の努力はあったでしょう。それによって良くなったこともきっとあるでしょう。

ですが、それがなかったらどうなっていたかは分からないので、もしかすると全く同じように僕たちが出来たかも知れないし、よりよくなったかも知れないです。

さらに言うと、「よって」という表現はポジティブ、ネガティブ関係なく使うことは可能です。

「親の怠慢によって、今の貧乏暮らしの僕がいるんだ」

これでもいいですよね。

しかし今回出した例文は、なぜかポジティブな印象のよってになっています。まるで今の我々は恵まれていると言わんばかりに。

これは恐ろしいことですね。2番目の文章も、おかしなことは言っておらず、ただ2つを結びつけただけなのですが、そこにポジティブな印象がかってに生まれています。

その上、それが実際に因果関係のあることかは分からないのに、まるで疑う余地がないことかのように見えてしまうわけです。

「〜のおかげ」の恐ろしさ、わかっていただけたでしょうか?

テスト勉強を頑張ったおかげで、いい大学に入れた

大量のゴミのおかげで、生態系が崩れかけている

コロナウイルスのおかげで、多くの会社が潰れてしまった

本当かも知れないし、嘘かも知れません。

ただそれを疑うことができる人とできない人との間には大きな差が生まれます。

なぜなら全てを信じる人は時にいいように騙されるから。

それは本当に正しい情報ですか?

「嘘無き印象操作」かも知れませんよ?

以上深夜3時になったどっふぃーでした。

雑記

Posted by doffy